古文書の世界に息吹を与え、生気を蘇らせるもの

  WBCでの日本チームの活躍が目覚ましい。ほぼ全員がそれぞれに的確に役割を果たし、ほぼ全員が順繰りにヒーローになる素晴らしい展開である。これは個々人の能力の高さと意識の高さが集積された結果であるが、これらを見極め的確に運用して見せる指揮官の慧眼と有能さの結果でもあることは誰もが認めるところであろう。しかしこの他にも彼らを輝かせている今は気付ていない要因がある気がする。

  話は飛ぶが、この2週間に2度伊藤誠之氏のお話を伺う機会があった。何れも初級古文書講座のような場で、一つは古文書を読むうえで必須の江戸時代の制度その他の一般常識であり、今一つは甲賀という地域の古文書の特性の解説であった。古文書が或は古文書群が一つの大きな意味合いを持つことになるためには、先ずは書かれていることが文字として文章として正確に読み解かれて現代人の我々にも読める活字の文章状態になる事が必要であるが、99%の人はここで挫折して先へ進めない。私も同じでどうしてもあのくねくねした字を見ると先へ行けない。

  しかし現代は国会図書館や公文書館或は大学や研究機関、さらには民間や地方の図書館や資料館など官民の機関がこぞって古文書のデジタル映像公開やその翻刻資料のネット公開などに取り組まれて、我々素人でも少し頑張れば活字文章なった古文書を入手できる様になった。更に地方にあって人の目につきにくい古文書を発掘してコツコツと翻刻して刊行して世に出される仕事に取り組まれている伊藤誠之さんの様な方もおられる。色々な人が努力をされた結果として我々のような素人でも読めるような形で古文書の書かれた内容が手に入るのは本当にありがたい。

  ただ素人の悲しさというのが厳然と存在していて、その古文書が書かれた時代の国や地方の制度や時代背景などの常識や理解力が欠落していて、文章は読めても内容を的確に把握することが出来ない事がしばしば起こる。この点で前述の初級古文書講座のような機会があると我々には大変助かりますということである。そこで色々とご指導いただきつつボチボチと先祖たちの行動の背景を解き起こしたりする素人歴史家ごっこを行うことになるのだが、ここでたまに気付くのが玄人の陥りやすい落とし穴があるということである。「神君伊賀越」から脱却できないのがその代表例であるが、その外にも少なくとも二点は見つけている。

  もう一つ古文書を読むうえで気になっていることがある。それは中央や藩庁のような公館庁で書かれたものを別にすればほとんどは個人によって書かれていると云う点である。その個人にはその人の個人生活があり個人の損得があり個人の感情があったはずなのにそういった私的なものを一切抜きにした型通りの解釈をする傾向が強いという点である。印刷された翻刻文を読むときはますますその傾向が強くなる気がしている。ここに地方に住む素人でもその古文書に係る個人の知られざる情報を提供することで中央や大学にいる歴史の「玄人」には決して出来ない大切な役割があると信じている。WBCの戦士たちがあくまで個人の集まりであるのにひとつの目的を達成しようとしているように、古文書の世界でも型通りに公式的に理解するのではなく、個人が書いた文書がそこにあると考えて理解のレベルを一段階揚げる努力が必要ではないだろうか。

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