嵯峨源氏と渡辺綱

  嵯峨源氏とは平安時代初期の嵯峨天皇の第18皇子である源融(とおる)公を祖先とする一族を称する言葉で佐賀藩の松浦氏なども嵯峨源氏を名乗っているのであるが、この源融公の4代後の源綱公が大坂の渡辺津にあって初めて渡辺の姓を名乗ったことで全国のすべての渡辺さんの遠祖に当たるため、全ての渡辺氏は嵯峨源氏の一統であるとされている。

  渡辺綱は摂津源氏の源頼光に仕え、坂田金時などと共にその四天王の一人とされ、渡辺綱自身は大江山の鬼退治の英雄として広く知られている。渡辺綱は万寿2年(1025)に摂津の地で没し川西市の小童寺に祀られている。現在嵯峨源氏顕彰会が主として墓所のお守をしており、昨年には川西市の教育委員会とも話し合いの上、当会により渡辺綱公の説明版も新設された。

  実は本日午前中から嵯峨源氏顕彰会の集まりがあり、帰って来た甲賀者も参加しました。この会には父親の時代から参加しており、小生も20年来の参加を続けていました。春には川西市の小童寺、夏には京都嵯峨野の清凉寺に集まるが、清凉寺には嵯峨天皇や檀林皇后、さらには源融公のお墓もあり時にはもと佐賀藩の松浦氏や全国渡辺会の渡辺昇会長などが参加されることがある。会ではまず皆で御廟やお墓の周りの草抜きや清掃を行い、その後法要を行った後に会食をして談笑を楽しんでいる。今日はあいにくの雨ふりの中有志が集まり、渡辺綱公の999回めの遠忌を行った。来年は1000回大遠忌に当たる。

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