帰ってきた甲賀者 転生の記録
昭和12年 | 大阪の近江商人阿部家に奉公する手代の長男として摂津国豊中で出生 |
昭和15年 | 父親の上海転勤に同行、同地にて幼稚園入園、卒業 |
昭和19年 | 上海第2国民学校入学 |
昭和21年 | 上海より引き揚げ、甲賀の寺子屋甲南第2小学校へ転校(2年生) |
昭和25年 | 同校卒業、甲賀の上級寺子屋甲南中学校入学 |
昭和28年 | 同校卒業、近江国元膳所藩校大津東高校(現膳所高校)入学 |
昭和31年 | 同校卒業 |
昭和32年 | 山城国京都所司代傘下工学修練所(京都大学工学部)にて工学を学ぶ |
昭和38年 | 工学修士 |
同年 | 土佐国岩崎家江戸屋敷に奉公(三菱化成中央研究所) |
昭和51年 | 同家ドイツ国デュッセルドルフ屋敷転勤、代官職 |
昭和56年 | 同家江戸屋敷(三菱化成本社)に転勤 |
平成5年 | 同家を辞し、甲州渡辺家(中央化学)鴻巣屋敷に番頭として奉公 |
平成12年 | 同家を辞し、故郷近江国甲賀郡杉谷村へ帰郷、幼少時の旧宅に住し 農業を営む |
同年 | 服部勲氏により、当家が尾張藩甲賀者・甲賀五人の一家の末裔である ことが確定 |
同年 | 当家の蔵の2階の古箪笥より忍者文書等多数発見(渡辺俊経家文書) |
平成13年 | 電網博覧会に、仮想展覧館『伊賀甲賀忍者館』を出展する手伝い |
平成14年 | 甲南忍術研究会会長杣庄章夫氏の急死により同会会長に就任 |
以後 | 甲南町観光協会長、観光ボランティアガイド会長、甲南地域史研究会 会長等歴任 |
その後 | 甲賀市合併前の五町連絡協議会会長等役職を歴任 |
平成29年 | 伊藤誠之氏により当家文書が翻刻され、『渡辺俊経家文書』として 甲賀市より出版 |
平成30年 | 当家文書の現代語訳と尾張藩関係文書が『甲賀者忍者伝書』として 甲賀市より出版 |
令和2年 | 20年間の研究結果をまとめ、『甲賀忍者の真実』を執筆、 サンライズ出版社より刊行 |
同年 | 母の実家の地、近江国大津膳所へ転居 |